国立大卒の陰キャニートによるブログ

23歳、どうしようもないニートの雑記。

「つまらないという人間がつまらない」という人間はつまらない

こんにちはWIXRSSです。

最近よく聞く言葉「つまらないという人はつまらない人間だ」という格言戯言ですが、僕はむしろ「つまらないと言えるひとが面白い」のだと思います。

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つまらないという感想

→「面白い」という「なんの記憶にも残らない」凡百な感想と違い、「つまらない」という言葉は制作者の心をえぐり、(たぶん)読者の心をえぐり、そして自分は好き勝手に無責任に断罪できる都合の良い言葉である。

 

しかし、私達は「悪名は無名に勝る」という言葉を知っているだろう。

 

つまり、なんの印象にも残らない「面白い」よりも悪辣な印象を抱く「つまらない」のほうが価値があるわけだ!

実際、レビューサイトや動画のコメント欄を見れば分かる通り、「面白くない」「つまらない」は大きな共感、そして反感を得られる。 

一方で「面白い」等といったところでなんの返信も評価もされずに、「壁にでも喋って」る感じになるのは正直おもしろいすごく悲しい気持ちにさせられる。

つまらないという「価値」

面白い人は「つまらない」ということに価値を見出している。

だから、配信者や評論家がつまらないというコメントを「敢えて」出しているのだ。

面白いという考えはあまり共有できないが、つまらないという考えは「強い絆で結ばれたかのような」共感のされ方をするのだ。

おもんない人はそれをしらずに、馬鹿正直に「面白い、面白い」と言う。

消費者の立場から面白さをアピールするには、ひたすら否定するか、「面白い」を超えた過激な賞賛をする必要があるのだ。

つまらないは安上がり

人間はネガティブな生き物だ。生きてる間に自殺を考えるなんて、こんなに後ろ向きな生き物はいないだろう。

だから、褒めるより貶すほうが得意な生き物なのだ。

「3貶す≒1褒める」位がストレス的にはちょうどいいくらいだ。

つまらないは価値のある言葉だ。

そして、その後に続く言葉はどんな愚者にでも思いつくことができる。

面白いという「難易度の壁」を超えられない彼らよりもつまらないと言い続ける私達はよっぽど賢く、そして面白い。

結論:私のことをつまらないという人間はつまらない

↑嘘ですすみません「面白い」です😂