国立大卒の陰キャニートによるブログ

23歳、どうしようもないニートの雑記。

俺が「老害」という言葉について思うこと

注意⚠これは老害擁護記事です。老害アレルギーの方はブラウザバック推奨です👴👵

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老害って言われる人に俺はあったことがない。俺自身が老害だからかな

しかし、世間では「老害」は共通認識らしいし、去年あたりに見た「赤ちゃんに怒鳴り散らす老人」の動画に関しては(見たくないのでリンクは貼らない)確かに老害感はあるものの、なんとなーく違和感があったので今回はそれを記事にします。

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老害=脳の障害?

俺がまずこの老人を始めとする「怒鳴り散らす」老害に対して思うのは、彼らは「故意」に怒鳴り散らしているわけではないのではということだ。

つまり、何かに突き動かされるようにして「怒鳴っている」ということだ。

それは何か?脳の機能障害ではないか?

それならばヒステリーや癇癪を起こす人同様、「理性」でもって抑えることの出来ない「症状」なのではないか?

もしそうならば、「老人」は、性格が悪いのではなく、脳の病気である可能性が高いだろう。

するとどうだ、誰もこの老人を非難できないのではないだろうか?

障害者とLGBTと女性は弱者

ようするに、「障害者」である「老人」は社会的弱者となり、この場合社会に迷惑をかけることは「至極当たり前のこと」であってそれを咎めてはならない()

とするのが現代社会の基本である。

そうすると、この件老人がこの「社会的弱者」に値するかどうかを議論すべきでは無いのだろうか?

これについて言及しているものはいまだかつて見たことがなくはっきり言って、国民(ネット民)は「この問題」から目を背け続け「老害批判」をしていないか。

「この老人が障害持ちなら責められない」

「この老人がゲイなら責めづらい」

 

そういった後ろめたさを持ちながら「老害」とディスってるのではないだろうか?

老害批判者にかける自己理解

俺は「迷惑な人」は嫌いだが、老害と決めつけて不快な老人を「害」のある存在だと言うことにあまり賛同はできない。

なぜなら、人間というのは「多面性」のある生き物だからだ。

社会的に凶悪とされている人物が、周囲の人物からは「優しい人間」と評されていることは枚挙に暇がない。

逆に、社会的に善良とされる人間が、犯罪や違法行為に手を染めてしまうケースも少なくない。

要するに、ひとは「優しかったり」「怖かったり」「カッコ良かったり」「ダサかったり」するものなのだ。

だから、老人の一面を見ただけで「害」と決めつけるのは早計だと思うのだ。

そして、これはニート叩きと同じように、ただの「差別主義者」が紛れ込んでいるという問題もある。

だから、俺は特定の人だけが「害」であるという「幻想」は捨てて、「害」と直接的に向き合うにはどうすればよいかを考えるほうが、「老害」と批判するよりも遥かに建設的何じゃないかと思う。

 

結論:人間皆「老害」要素を持っている