世の中には、警備や介護、現場作業員や介護職を「底辺」と
低学歴の人たちを「底辺」と
呼ぶことに、何のためらいもない人たちがいる。
しかし、そういった人たちが「底辺」とののしられる理由は何だろうかとみてみると、「なんの能力もスキルも持ち合わせておらず、だれでもつける仕事にしかつけないから」なのだそうだ。
なんて傲慢なのだろうか。
一般の人間は「能力もスキルも」持たないものがほとんどだ。しかし、新卒や資格によって、「無能」な人間でも生きられるような社会になっているのだ。
なぜ彼らは有能側の立場に立ってものを考えられるのだろうか。
百歩譲って、経営者や実業家がこれを言っているならば一理ある(一理しかないが)とも言えなくはないだろう。(自らが雇う労働者に対する侮蔑ともとらえられそうだが)
しかし、何故か日本の正社員がこれを言っている姿には非常に疑問を抱く。
なぜ自分が「有能」で「能力もスキルもある」側だと「勘違い」できるのか。
はなはだ疑問である。
「多くの正社員」は無能だ。
彼らの理屈で言えば、多くの正社員は「無能」で「底辺」だ。なぜなら、「誰でもできる仕事」を「何の能力もスキルもない」人間がこなせるというのが、世間一般で言う「正社員の仕事」だからだ。
なぜそう言えるか?簡単だ。それは「新卒一括採用」が「能力」を判断して採用した形式ではないからだ。
彼らは無能だから、就職をし、自ら稼ぐ能力がないから、「会社に勤めている」のだ。
わずかな虚栄心と臆病な自尊心
誰でもできる仕事は別にあなたがやらなくてもいい仕事だ。
それはほとんどすべての仕事であって、底辺仕事と呼ばれる仕事だけではない。
ではなぜ、底辺仕事は「底辺」とバカにされるのか。
それは、底辺仕事と呼ばれる仕事と「普通の仕事」には社会で言われているほどの差異がないからだ。
確かに待遇面では違いはあるだろうが、どこの業界でもブラックはあるし、ホワイト(高給)の仕事というものはあるものだ。
そんな中で社会の歯車として、しかもいつでも替えの利く歯車として働かされる社会人は「自らの自尊心」を保つことが出来ないのだろう。
だから、下?のような存在を見て、自尊心を保とうと必死なのだ。
「あいつらはみじめな奴らだ」「あいつらは底辺だ」
そう言い聞かせることで「自分はあいつらとは違う」と思い込みたいのだろう。
実際には大した違いなどないのにも関わらず。
多くの人間は「底辺」だ。
一部の人が底辺なのではなく、「有能」以外みな「底辺」なのだ。
どんな罪でも犯罪を犯せば「底辺」
どんな人間でも「自分の力だけで食えなければ」無能である。
だから、人に「底辺」と言えるのは、「自分が特別な才能を持っている場合」だけだ。
そうでなければ、「お前が言うな」「団栗の背比べ」状態になってしまう。