国立大卒の陰キャニートによるブログ

23歳、どうしようもないニートの雑記。

自分がされて嫌なことは相手にもしないという考え方!

どうもこんにちはwiXRssです。

今回は「自分がされて嫌なことは相手にもしない」という考え方に「敢えて」賛同する

私が、どのような理由で肯定するのかについて話していこうと思います。

 

今後は「自分がされて嫌なことは相手にもしない」という考えを「命題」として語っていきます。

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私は「自分がされて嫌なことは相手にもしない」という考えに(消極的)賛成である。

というのは多くのバカが指摘するような「そもそも自分が嫌じゃないという理由で相手が不快になることを平気でやってしまう」という意見があるが、この反論自体は命題に対する反論にはなっていない。なぜなら、相手が不快になってしまう行動や発言は「わからない」という事実があり、そもそもこの命題を否定したところで解決する問題ではないからである。

日本人は「本音と建前」を上手に使いこなす民族だが、いったい彼彼女の「本音」を誰が知っているというのだろうか。少なくとも私は「親友」や「家族」でさえも本当の想いはわからない。そもそも、「いやじゃないと思うことを平気でやるようになってしまう」とあるが、これは命題を信ずるものだけでなく、「人間」がみな「無意識」的に行ってしまう行動である。なぜなら、日本人だけでなく人間というものはだれしも「人を不快にする」生き物であるからだ。誰からも嫌われたり、不快にさせられない人というのはいない。なぜか?「どんなに意識しても、嫌われてしまう発言をしないということは不可能」だからだ。他人の心を読める人間など存在しないし、そんな人間は「どんな教育」をしても「相手を不快にしない言動をしない」ことは不可能だから、このような命題を教育に用いるか否かにかかわらず、「人間はおろかで他者を傷つける生き物である」という事実は変わらない。

彼らの提唱する「そもそも相手が嫌なことはしない」は「いやなことをいやだ」と「馬鹿正直」に言う人々で構成されたコミュニティ内でなら成立するだろう。しかし、現実は「いやだと言ったら嫌われる・仲間外れにされる」「わがままな人間・めんどくさい人間」だと思われる・・・という考えから「いやなことはいやだ」という人間などほとんど存在しないだろう。

彼らはどのようにして「相手が嫌だと思うこと」を「確認」するのだろうか?

それは簡単である。あなたが人を自分の価値基準で「責める」ことなく、なおかつ「責める」ような他者に簡単に言いふらさないという人間であれば多くの人が「自分の本音」を話すだろう。

 

しかし実際はどうだろうか。命題のようなことを考える人間はおろかだ、考えが古い!と「責め立てる」人間のもとに「本音」を語りたがる者がいるだろうか?少なくともそんな人間にオープンに自分の悩みを打ち明ける人は多くはないだろう。

お互いに「いやなことを言い合おう」「いやなことはしないようにしよう」というのはいいが。「誰が異なる価値観を影で批判するあなたに本音をさらけ出そうというのか?」という一般人が至極当たり前に持つ感情ですら理解できずに論を進めている者は「馬鹿」であるとしか言いようがないだろう。

 

本音を言いたくなるような人というのは「常識であれ偏見であれ」「批判することなくまっすぐに受け取ってくれる」ような人間なのだ。

 

本音というのは醜いものであることが多い。だから覆い隠そうとする。そもそも、「嫌だという感情の本音」は見せたら叩かれるからこそ言わないのだ。ものを批判する人間に「本音」など言うはずがないだろう。

 

「そもそも自分が嫌じゃないという理由で相手が不快になることを平気でやってしまう」というのは「当たり前」である。

 

この命題に賛同している者を「思考停止」だとか「常識に縛られる」と考えて見下したり馬鹿にしたりするものが多いが、そういったものが出す代案が「実現不可能」な「絵空事」しかないことからもこの命題を批判することの「難しさ」がうかがえる。

 

結局私たちは人のことなどわかりはしないのだ。相手の嫌なことがわかればそれはやめるようにするのが当たり前だが、「相手の嫌だと思うこと」で「まだわからない」ことに関しては、この命題をもちいて推測する「以上」のことなどできはしないのだ。

推定無罪の原則」が「無罪であるかどうかわからない」けど「無罪」であるように、

相手が嫌だという「明確な証拠」がない限りにおいては「自分が嫌なこと≒相手も嫌なこと」と推測するしかないのだ。

この命題は「思考停止」どころかきわめて「合理的」な考えであり、「穴」を批判することは簡単だが、この命題以上に「合理的で」「実現可能性の高い」若しくは「推定可能性が高い」ような手段はないのだ。

 

だからこのような(命題の)結論は、現在の人類の「最高到達点」である。

「相手が嫌なこと」を知ろうとすることで「お互いがお互いを嫌いになってしまう」可能性も内包しているまさにこの命題のアップデートというのは「AI革命」同様、人類に甚大な悪影響をもたらす可能性すらある。-

何でもかんでも常識のアップデートをすればよいというものではない。

 

そういったことを理解してからものを言ってくれないか馬鹿どもよ・・・