国立大卒の陰キャニートによるブログ

23歳、どうしようもないニートの雑記。

「立ちんぼ」問題~嫉妬と差別感情むき出しの醜い世間~

立ちんぼは「売春防止法5条」において1年以下または5万円の罰則がある。

「客待ち」や「勧誘」が社会的公益に反するため、「逮捕」される恐れがあるというだけの話なのだが、何故かここでネット民は「あの女は性病もちで~」「脱税しているのでは」「汚いおっさんに体打って汚らわしい」「おっさんも逮捕しろ」等と

売春防止法」の規定に反するという以外の理由で「怒っている」「罵倒している」人が存在するがこれは非常に危険だ

なぜならそこには普段から彼らが抱いている「立ちんぼ嬢(別名:港区女子)」や「おじさん」に対するきわめて差別的・嫉妬を含んだ感情がそこに孕んでいるからである。

まずそもそもの話だが、「犯罪行為を犯したか」どうかと、「その被疑者ないし被告人」に怒りを覚えるかどうかは別の話である。

なぜなら、犯罪者とその被害者は「我々にとってなんの関係もない他者」であるからだ。

そんな人たちのことに一喜一憂している暇があるのであれば、もっと自分の人生を生きるべきだし、自らやその周囲の人間に何の被害もないのに、「なぜか強い憤り」を感じている人は非常に危険だ。

そういった人は「自らの正義のためならば」どんなことでもしてよいと考える傾向にあるからだ。

例えば犯罪者に刑罰を下すことが「我々の使命である」と強く思っている、若しくはその犯罪者に強い恨みを抱いている(自分が被害にあったわけでないのに関わらず)異常者は、「窃盗犯を死刑にせよ!」「痴漢は死刑にせよ!」というが、これは大きな誤りである。

「罪の重さ」というものは「国家」によって決められるものだが、その主たる権利を有しているのは国民である。国民が「自分にとって嫌な奴、嫌いな奴は死刑!逮捕だ!」と頭の悪い考えをするものが増えてしまうと、実質的に「不快にさせたものは死刑!どんな

犯罪行為でも死刑!」という極論に至ってしまう恐れがある。

話はずれたが、この世間の「正義感」と思わしきものの中身はほかでもない「嫉妬」や「差別感情」である。

おっさんを「気持ち悪い醜悪な生き物だから」「罰せられてほしい」「いやな目にあってほしい」と考え、

立ちんぼ女を「キモい男に跨るキモい女」「人として最低の人間」「自分はつらくても一生懸命働いているのに、稼げない、それに比べてあいつらは・・・」と考える人たちが、

「犯罪行為だから」という大義名分のもとで叩くことに「正義」を見出している姿を見ると非常にグロテスクであると感じる。

私から言わせれば「醜悪」で「最低」な人間なのは、「自分にとって何の関係もないのにもかかわらず」「おじさんや立ちんぼ女をたたく」世間様の方ではないかとさえ感じるのである。