おもにこれを聞いてくるものは「単純な質問」であるか「その後に反論して論破してやろう」とするものであるが、これは答えるだけ無意味である
例えばなぜ○○が好きなのか?
と聞かれ、
1、○○と□□の掛け合いが面白いから!などと答えたりする。
→「いやでもそれ内輪乗りだし、普通に寒いと思うよ・・・」「こんなものを面白いと思うなんて笑いのレベルが低いんだね」等々
2、かわいいから(かっこいいから)
→「かわいくても面白くないアニメとかあるよね、やっぱり内容がよくないと好きになれない」「そもそもデザインはそれほどかわいくないだろ」等々
3、元気づけられる
→「うるさいだけ」「逆にあのテンションが腹立つ」
好きな人にとっての「理由」は嫌いになるひとの「原因」であることが多く、どんなことを言っても共感されたり理解されることはない
なぜ○○が嫌いなのかについても同様に、
・ファンのノリ(界隈のノリ)が苦手
・不祥事や問題発言を何度も繰り返す
・設定を守っていない(もともとは好きだったが、現在の姿は好きではない)例)応援していたアーティストが人気が出て大きく音楽性を変えた
・そもそも面白いと思わない(発言やテンション自体が魅力的だとは思わない)
以上で上げた通り、「好き」や「嫌い」な理由も「主観的」なものであり、それが何らかの「客観的根拠」に基づいていたとしても、「好き」な人は「好き」だし、「嫌い」な人は「嫌い」であるため、こうした「感情」によって左右されるものに「理屈」や「論拠」を求めようとするのは「不毛」である。
したがって、「攻撃」する目的でこの質問をするものは、どんなに客観的なデータに基づいてその感情を説明しても、「ふーん、俺はそうは思わないけどね」であしらわれ、感情論であることを指摘され、「論破?」した(された)ような感じになるが、
先ほど述べた通り、感情に理由などない「後付けの理屈」であるため、どう考えても質問に答える側が勝つことは100パーセント不可能である。